1月16日は禁酒法の日なので、禁酒法ってなんだろうと調べてみました。
アメリカにもそんな時代があったんですね。今の日本ではありえない話ですが。
■禁酒法ってなに?
アメリカ合衆国史における禁酒法(きんしゅほう、Prohibition)は、1920年から1933年までアメリカ合衆国憲法修正第18条下において施行され、消費のためのアルコールの製造、販売、輸送が全面的に禁止された法律である。「高貴な実験(The Noble Experiment)」とも揶揄された。
■経緯
禁酒法は1851年にメイン州で成立したのを嚆矢として順次他の州に広がっていった。
全土で実施が決定したのは1919年1月16日。
この日に法律が制定され1年の猶予を経て1920年1月17日より実施された。
それから13年後の1933年にルーズベルトによって廃止された。
■背景
・飲酒自体はキリスト教でも禁止されておらず、酒はキリスト教の神からの授りものであり、仮にそれを飲みすぎて酩酊しても、個人の節制の範囲と考えられていた。
・19世紀に各州で成立した禁酒法はプロテスタントとカトリックの文化的な対立が背景
・南北戦争で一時は下火になりますが、20世紀に入ると女性が運動に加わり再び勢いを増した。
・決定的だったのは第一次大戦の勃発にともない、参戦を議会に認めさせたいウィルソン大統領が禁酒派の支持を得るために迎合したことだった。これにより「憲法第18条修正条項」いわゆる禁酒法が議会を通過した。
・ほかに戦争に備え穀物の確保をするという目的もあったらしい。
■限界
・一方、ボルステッド法はアルコール販売を禁止したが、法律を強制することはほとんど行われなかった。違法な酒の流通および無許可での製造販売は激烈になったが、政府にはアメリカ全ての国境、湖、河川および秘密酒場で法執行を強制する手段も意志もなかった。・実際にはニューヨーク市単独でも、30,000-50,000軒もの違法な酒場がいたるところにあった。
・アルコール度数の低い酒は対象外で、個人の家の庭にはぶどうなどを栽培しており、自家製の酒も作られていた。
・マフィアが暗躍し莫大な利益をあげた(アルコール度数の高い酒)。
■終焉
・特に都市部において、禁酒法は世界大恐慌の間、次第に不興を買うようになった。
・1933年3月23日に、フランクリン・ルーズベルト大統領はボルステッド法のカレン=ハリソン修正案に署名した。そして、特定の種類のアルコール飲料の製造・販売を許可した。
■禁酒法時代を描いた映画
・アンタッチャブル (1987年) : 禁酒法によって利権をむさぼるアル・カポネ一派と対決する、エリオット・ネスら連邦捜査官たちの活躍を描く。
・コメディ 「お熱いのがお好き」 (1959年) : マリリン・モンロー、トニー・カーティス、ジャック・レモンを禁酒法上の時代という設定で出演させた。
・ロード・トゥ・パーディション (2002年) : 禁酒法時代の間にギャングの殺し屋(マイケル・サリバン)の生活を描写する。
ウォーク・トゥ・リメンバー (2002年) : 禁酒法時代にトム・ソートンの舞台演技を披露する。
・欲望のバージニア (2012年)1931年バージニア州。禁酒法下、密造酒ビジネスで名を馳せたボンディランド3兄弟をモチーフに、実際にあった復讐劇を映画化。違法ビジネスを行う者と、高額の賄賂を要求する取締官の争いという構図。
■所感
人間の“酒を飲みたい”という欲望に逆った法律を強制されると、不興を買うし、誰も守らなくなる。マフィアが儲けたのは、飲みたい人たちがいたからだろう。官僚が作る法律には、一見合理的なものもあるが、庶民の気持ちを理解しているのか疑いたくなる法律がある。社内のルールにしても、そういう点に気をつけて作らないといけないかも知れない。
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