2014年1月12日日曜日

大河ドラマ軍師官兵衛 第2回 1月12日 の気づき(その1)


■小寺政職の近習となる

戦国大名は、家臣たちの子供を近習として居城に住まわせた。これにより、有力な人質を取るとともに、主君への忠誠心を高めようとした。徳川家康は幼い頃から、駿河の今川家に人質に出されているし(松平元康の「元」は今川義元から「元」の字をもらっている)、毛利元就の子隆元は山口の大内義隆の人質に出されている(大内義隆の「隆」をもらって隆元と名乗っている)、甲斐の武田家においては信濃の真田昌幸は信玄の近習になっている。有能な主君であれば、その挙動を間近に見、そして薫陶を受け、力のある武将に育つことにもなったろう。武田信玄の評価はともかくとして、彼の近習であった飯冨(山県)昌景、高坂(香坂)正信、真田昌幸などは有力な武将として頭角を表している。

小寺政職の近習になった官兵衛はどうだったのだろうか。碁を打つ(将棋?)の場面で、主君に勝ってしまい、職隆なら絶対に勝たないぞ、飼い主に噛み付いてはならん・・・嘘じゃ、などとふざけている。

 

 他の近習たちから、目薬屋と言われ、お前の家だけ外様(主家と姻戚関係がない)と言われた。これは、職隆も同様に受けた風当たりで、急速に台頭してきた黒田家に対するやっかみだったのだろう。黒田家の強さの秘密は、栗山善助が官兵衛に言ったように、身分に関係なく取り立てる家だったから、と言っている。その黒田家を取り立てたこともあって、小寺家は力を伸ばしていたことが暗示されています(小寺家が経済力を持っていたことも“官兵衛紀行”で暗示されている)。

 

■初陣

 櫛橋左京進と争う、櫛橋家は実は官兵衛の妻光の方(てるのかた)の実家です。彼女は政職の養女となってから、官兵衛に嫁ぐことになるが、それはまたは先の話。

 官兵衛は物見をして、敵がわざと負けて、誘い込んでいることを察知し、周囲に知らせて左京進の救援に向かう。

 しかし、実際の戦闘ではうまく活躍できませんでした。

 また、戦闘後にあまりの悲惨さに呆然としてしまいます。手柄を立てられなかったことに呆然としていたようにも見えます。これは、官兵衛が初陣で目の当たりにした戦闘の悲惨さであり、官兵衛が殺戮を好まなくなったことの暗示かも知れません。

 

■おたつは架空の人物

 官兵衛の妹で、浦上氏に嫁いだ人物がモデル。彼女たちは、婚礼のときに他家に襲われて亡くなったと言われています。おたつは職隆の養女になって浦上氏に嫁いでいるので、いちおう、官兵衛の妹になっていると言えなくもないですが、ドラマとしての創作部分なので、やむを得ないでしょう。

 

■栗山善助

 のちに、黒田家の筆頭家老、栗山利安となります。有岡城では官兵衛を救出し、関ヶ原の直前には、光の方と栄姫を大坂の屋敷から救出しています(母里太兵衛とともに)。官兵衛の臨終には、息子の長政を差し置いて、栗山利安に合子兜と甲冑が与えられています。この甲冑をわしと思い、長政は利安を父と思って、諫言を聞き入れよ、という官兵衛の意図でした(『黒田如水伝』)。

 利安の子、栗山大膳が二代藩主忠之に諫言して、黒田騒動に発展したのは後の話。「黒田騒動」は小説にもなっています。忠臣の鑑として現在に伝えられている話です。お家騒動は大名家の取り潰し事由に相当しましたが、黒田家はそれをまぬがれました。大膳は盛岡藩のお預けとなり、官兵衛の合子の兜を持ち去ってしまいます(甲冑は黒田家に所蔵され、現在、福岡市博物館にあります)。

 栗山利安役の濱田岳さん。私は金八先生のときから見てます。八乙女光くん、黒川智花さん、福田沙紀さんたちと一緒に出演していましたね。栗山利安らしさが出ていていいと思います(個人的感想です)。

 

■信長窮地を脱する

 秀吉が援けに来たときに、川並衆の蜂須賀小六もいた。蜂須賀小六は、今後官兵衛とともに秀吉軍の調略を担当することになる。それだけじゃなくて、息子長政と小六の娘糸姫が結婚するんだけどね。

 信長は、秀吉に対して、わしが生きていることをどう思うか・・・・と聞くと、殿様は私の命でござれば、と言った。何かの暗示か。あるいは、本能寺の変のときの伏線か。

 

■浦上氏の室津城

 浦上家の室津城は、現在の兵庫県たつの市御津町に属して、播磨灘に面する港町・漁港。

 ドラマの中で、官兵衛が評定に割って入ったときの発言に、室津は海上交通の要衝ということを言っていました。

もともと、約2000年前、神武天皇の東征先導役が室津に港を建設したといわれ、藻振ノ鼻(室津半島先端部)と金ヶ崎(たつの市・相生市境)で囲まれた室津湾の、更に東側奥にあることから、「室の如く静かな津」ということで「室の泊」と呼ばれたのがその名の始まりと伝えられています。『播磨国風土記』に、「コノ泊、風ヲ防グコト室ノゴトシ 故ニ因リテ名ヲナス」と紹介されている。奈良時代には行基によって「摂播五泊」の一つとされ、海上と陸上交通の要衝として「室津千軒」と呼ばれるほど栄えました(Wikipedia)。

のちに、秀吉軍の水軍の将となる小西行長が、この室津でキリシタンを保護しています。

■浦上家とは

 浦上家って何?と思われた方もおられるでしょう。備前の国(現、岡山県)周辺に勢力を持っていた大名で、もともと赤松家の家臣でした。小寺家と同様、赤松家の衰退に乗じて独立しています。浦上村宗の時代には、上洛も果たしています。しかし、のちに重臣の宇喜多直家により滅ぼされてしまうのです。

とりあえず、速記してみました。もう見直して、手直しします(ですます調とである調の混在はご容赦ください)。

大河ドラマ「軍師官兵衛」第1回の気づき(その3) 2014年1月5日

放送を何度か見返しましたが、いろんなことが浮かんできますね。

今回も気づいた点をつれづれに書いていこうと思います。







■小寺領や広峰神社が“野武士”に襲われますが、「野武士」って何でしょうか?

辞書に載っている意味は、「野武士南北朝・室町時代、農民の武装集団。山野に潜伏し、物資を略奪し戦闘にも参加した。戦国時代に大名などが徴発し、戦闘に参加させた者をもいう。のぶせり。」(Weblio辞典)
 

 そういえば、黒澤明監督の「七人の侍」では、野武士との死闘が描かれていましたよね。

 

「戦国時代、戦により行き場を失い盗賊と化した野武士(作中では「野伏せり」)の一団がある農村を狙っていた。村は前年も野武士に襲われ略奪の憂き目にあっていた。麦が実ったらまた村を襲うことに決めて去る野武士を偶然居合わせた村人が目撃していた。村が絶望に包まれる中、利吉という若い百姓が我慢の限界に達し、野武士を皆突き殺すべきだと主張する。村人の相談を受けた長老の儀作は村を守るために侍を雇うことを思い立つ。」(Wikipedia七人の侍)

この映画では、野武士に一方的にいじめられる農民たちと、その反抗に加担する武士たちという構図で描かれています。
 

しかし、戦国時代は農民、武士、職人、商人という身分制度はなく、農民と武士の境界線が明確ではありませんでした。純粋な武士ではない“農民”たちも気に入らない領主に対しては武器をもって反抗していました。山城国一揆などがその典型です。

「山城国一揆は、文明17年(1485年)、山城国(現在の京都府南部)南半の上三郡(久世郡、綴喜郡、相楽郡)で国人や農民が協力し、守護大名畠山氏の政治的影響力を排除し、以後8年間自治を行った事をいう。」(Wikidipedia
 

一方で、野武士たちは、特定の家に仕えず、人が汗水垂らして作ったものを力ずくで奪っていくものたちで、一年中略奪行為で生計を立てていたかどうかは分かりませんが、“泥棒”だったわけです。戦国時代の野武士は現代の日本にはいないと思いますが、現代の我が国には“野武士”的なものはたくさんあると思います(人が汗水垂らして作ったものを力ずくで奪っていくものたち、です)。その“野武士”的なものに対して、絶望しつつも、武器をとって戦うときがきているのかも知れません(別に、アナーキズムを主張しているわけではありません)。どう行動するかは、あなた次第。

 


■石川源吾がやばい
 

石川源吾は、評定の場で職隆をかばったりして、一見仲間かと思いきや、実は赤松家のスパイというか調略を受けて、小寺家中に混乱を起こさせる役目を追っていました。戦国の世はそのようなことが日常茶飯事で、職隆も源吾を簡単に信用していなかったと思います。

平和な現代日本でも、そのような“スパイ”はたくさんいます。人を疑ってかかるのもどうかと思いますが、健全な懐疑心は必要でしょう。

 

■職隆のリーダー論
 

 職隆といわが宵に二人で会話する場面があります。夫婦仲がよかったようです。いわはお漏らしするほど真剣に伊吹善右衛門の話に夢中だったことや、善右衛門からもらったビードロを母にくれた官兵衛の優しさを話し、職隆は優しいだけでは大将は務まらん、と言います。職隆は、病弱ないわに酒を勧めています、少しでよい、一緒に飲みたいのだと。
 

 職隆はリーダーとして必要な資質のことを端的に話していました。優しいだけではダメだと。

 

このときふと頭をよぎったのは、のちに官兵衛が言う、リーダー論です。官兵衛はいいます。リーダーシップとは、単にやたらと威張り散らして部下を恐れさせることではない、そんなことをしたら部下は誰も諌める者がいなくなってしまう。単に、リーダーが自分の行いを正しくしていけば、それだけで部下たちはリーダーを畏敬し、規律正しく行動するようになるものだ、と。
 

人の行動の原動力には、“恐怖”と“愛”とあって、「・・・しなくちゃ怒られちゃうからしよ」というのが“恐怖”で、「・・・したい、そうした方が楽しいはず」というのが“愛”。リーダーシップも同様で、人を恐怖で動かすのか、愛で動かすのか。愛で動かすのがよい、と官兵衛は言っているように感じました。みなさんはリーダーとして、あるいは、人を動かす立場の時、どのようにして人を動かしていますか?
■明石氏(いわ)は和歌上手?
 官兵衛の生母いわは明石宗和(正風)の娘で、宗和(正風)は隠月斉の号を名乗り、関白・近衛稙家・前久父子の歌道の師範だったといいます。武家にして、公家に歌を教えるほどの腕前でした。
 その娘、やがて官兵衛の母となる岩姫も都育ちで父の薫陶を受けて育っていますので、和歌の道に通じていたことでしょう。
しかし、その点は再三申し上げているとおり、とうとう描かれませんでした。 
 

 
 
 
 
 
 

1月12日に何があったか




112日に何があったか

1528年   スウェーデン王グスタフ1世が戴冠。

1874年   板垣退助らが愛国公党を結成。

1875年   光緒帝が清の皇帝に即位。

1895年   イギリスでナショナル・トラストが発足。

1911年   オーストリア陸軍のレルヒ少佐が、新潟県高田(現在の上越市高田)
陸軍歩兵連隊の青年将校に、日本で初めてスキーの指導を行なう。

1914年   桜島で大噴火。大隅半島と陸続きになる。(大正大噴火)

1915年   ロッキーマウンテン国立公園設置。

1928年   大相撲実況ラジオ放送が開始。放送時間内に終了させるために
仕切りに制限時間が設けられる。

1930年   青森県八戸市で第1回日本スケート選手権大会開催。

1945年   第二次世界大戦で、ソ連軍がドイツ戦線を突破しポーランドに進撃。

1946年   第1回国連総会で国連安全保障理事会が成立。

1946年   中国に亡命していた日本共産党幹部・野坂参三が16年ぶりに帰国。

1950年   アチソン米国務長官がアメリカの防衛ラインを
フィリピン・沖縄・日本・アリューシャン列島とすることを表明。(アチソンライン)

1954年   米国務長官ジョン・フォスター・ダレスが、
共産圏に対する大量報復戦略(ニュールック戦略(英語版))を表明

1962年   歌会始が初めてテレビ中継される。

1970年   ビアフラ戦争(ナイジェリア内戦)が終結。

1988年   日本医師会の生命倫理懇談会が、脳死を個体死と認め、
脳死段階での臓器移植を認める最終報告書をまとめる。

2004年   当時史上最大の客船「クイーン・メリー2」が処女航海に出発。

2005年   アメリカの彗星探査機「ディープ・インパクト」が打ち上げ。

2006年   ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世暗殺未遂犯メフメト・アリ・アジャが
イタリアとトルコでの25年の刑期を満了して出所。

2007年   マックノート彗星が近日点を通過。白昼に肉眼で見ることができる大彗星となる。

2009年   アメリカ合衆国への入国手続きに電子渡航認証システム(ESTA)が必須となる。

2010年   ハイチの首都ポルトープランス近くでマグニチュード7.0の地震が発生。(ハイチ地震)

○誕生日

1893年   ヘルマン・ゲーリング、政治家、軍人(+ 1946年)

1926年   三浦朱門、小説家

1939年   かまやつひろし、ミュージシャン

1947年   橋本大二郎、前高知県知事

1949年   羽田健太郎、作曲家、ピアニスト(+ 2007年)

1949年   村上春樹、作家

1952年   楠田枝里子、タレント、エッセイスト、元日本テレビアナウンサー

1964年   ジェフ・ベゾス、実業家(Amazon.comの創業者)

コメント:出版業界を破壊してきたアマゾンですが、自分自身が破壊した道を、
次なる若者がさらに追い越していく可能性を感じています。
アマゾンが10年後どうなっているでしょうかね・・・

1969年   ロベルト・プロシネチキ、元サッカー選手、元クロアチア代表

1970年   澤登正朗、元サッカー選手

1976年   中谷美紀、女優

コメント:NHK大河ドラマ軍師官兵衛の光の方役です!
個人的には、TBSドラマ「ケイゾク」の柴田純役が好きでした。
ご覧になっていない方はぜひ(笑)。結末があっと驚く、まさかの展開でしたね。
1980年   藤巻亮太、ミュージシャン(レミオロメン)

1986年   イモトアヤコ、お笑いタレント

1996年   橋本愛、ファッションモデル、女優

○忌日

1519年   マクシミリアン1世、神聖ローマ皇帝(* 1459年)

1665年   ピエール・ド・フェルマー、数学者(* 1601年)

1875年   同治帝、清第10代皇帝(* 1856年)

1957年   ヴィクトル・スタルヒン、元プロ野球選手(* 1916年)

1976年   アガサ・クリスティ、推理作家(* 1890年)

2001年   ウィリアム・ヒューレット、ヒューレット・パッカード創立者(* 1913年)

2003年   深作欣二、映画監督(* 1930年)

○記念日

・スキー記念日/スキーの日(日本)

1911112日にオーストリア陸軍のレルヒ少佐が、新潟県高田(現在の上越市)の
陸軍高田歩兵第58連隊の青年将校に、日本で初めてスキーの指導を行なったことから。
スポーツ用品メーカー・ミズノの直営店・エスポートミズノが1994年に制定。

・桜島の日(日本)

1914年(大正3年)に鹿児島県の桜島で大正大噴火が始まったことにちなむ。
鹿児島市では毎年この日に噴火を想定した防災訓練が行われる。