伊達政宗って、家康が天下を取ってからの天下を狙っていた?
そうかも知れないし、そうではなかったかも知れない。
では、彼は華々しい活躍を見せたが、その晩年はどういう風に過ごしていたのだろうか。
■領内の開発
世情が落ち着いてからは、もっぱら領国の開発に力を入れ、運河の整備、北上川水系の流域を整理し開拓、現代まで続く穀倉地帯とした。この結果、仙台藩は表高62万石に対し、内高74万5千石相当(寛永惣検地)の農業生産高を確保した。
さらに近江在住の技師・川村孫兵衛を招き、北上川の河口に石巻港を設けた。これにより北上川流域水運を通じ石巻から海路江戸へ米を移出する体制が整う。寛永9年(1632年)より仙台米が江戸に輸出され、最盛期には「今江戸三分一は奥州米なり」と『煙霞綺談』に記述されほどになる。
■文化
文化的には上方の文化を積極的に導入し、技師・大工らの招聘を行い、桃山文化に特徴的な荘厳華麗さに北国の特性が加わった様式を生み出し、国宝の大崎八幡宮、瑞巌寺、また鹽竈神社、陸奥国分寺薬師堂などの建造物を残した。
■趣味人だった政宗
多くの趣味を持ち、晩年は一日たりとも無駄に過ごすことがなかったという。
○料理
元々は兵糧開発が主眼であり、岩出山名物の凍り豆腐と納豆は政宗の研究の末に開発されたものであった。仙台城下には味噌倉を建てていたが、味噌の大規模な生産体制が確立されたのはこれが最初といわれる。太平の世になると美食を極めることに目的を変えて料理研究を続けた。『政宗公御名語集』には「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である」という政宗の料理観が残されている。この金言は和・洋・中を問わず後世の多くの料理人に感銘を与え、伊達家御用蔵が母体となっている宮城調理製菓専門学校のほか、服部栄養専門学校などでも校訓に引用されている。こうした料理に対する政宗の情熱から、今日の仙台名物が政宗の考案によるものだとする説がある。ずんだ餅や笹かまぼこが代表例だが、笹かまぼこについては、宮城県水産試験場の資料では、江戸時代中期に生まれた物と書かれてある。
○能楽
特に若年から習っていた能には傾倒しており、奥小姓を太鼓の名人に弟子入りさせたり、自身も豊臣秀吉や徳川家光の前で太鼓を打つなどしている。政宗が晩年、能に使用した費用は年間3万石余に及んだという。
○和歌
秀吉が吉野で歌会を開き武将達はそれぞれ詩歌を詠んだ時、政宗が最も和歌に精通し優れていた。そのため秀吉も「鄙の華人」と褒め讃えた。
○健康法
酒には滅法弱く、酔って失敗した逸話がいくつか残されている。
養生法が変わっていて、冬に炬燵の片側を開けさせていた。朝は早く目が覚めても、定時に側の者が起こしに行くまでは起床しないという拘りがあった。身体の健康を常に気遣っていた。
○喫煙
喫煙者で、毎日起床後・昼・睡眠前と、規則正しく3回煙草を吸っていた(当時の人々は煙草を薬として服用した)。遺品に、愛用のキセルがある。
■奥州の龍、政宗亡くなる
健康に気を使う政宗だったが、寛永11年(1634年)頃から食事不振や嚥下に難を抱えるといった体調不良を訴え始めていた。寛永13年(1636年)4月18日、母義姫を弔う保春院の落慶式を終えた後、城下を散策した政宗は経ヶ峰に杖を立て、「死後はここに埋葬せよ」と言った。そこが後の瑞鳳殿である。2日後の20日に参勤交代に出発した政宗は急に病状を悪化させ、宿泊した郡山では嚥下困難に嘔吐が伴い何も食べられなくなっていた。28日に江戸に入った頃には絶食状態が続いた上、腹に腫れが生じていた。病をおして参府した政宗に家光は、5月21日に伊達家上屋敷に赴き政宗を見舞った。政宗は行水して身を整え、家光を迎えた。しかしお目見え後に奥へ戻る時には杖を頼りに何度も休みながら進まざるをえなかった。
5月24日卯の刻(午前6時)死去。享年70(満68歳没)。
死因は癌性腹膜炎あるいは食道癌(食道噴門癌)と推定されている。「伊達男」の名にふさわしく、臨終の際、妻子にも死に顔を見せない心意気であったという。5月26日には嫡男・伊達忠宗への遺領相続が許された。遺体は束帯姿で木棺に納められ、防腐処置のため水銀、石灰、塩を詰めた上で駕籠に載せられ、生前そのままの大名行列により6月3日に仙台へ戻った。殉死者は家臣15名、陪臣5名。「たとえ病で失ったとはいえ、親より頂いた片目を失ったのは不孝である」という政宗の考えから死後作られた木像や画にはやや右目を小さくして両目が入れられている。将軍家は、江戸で7日、京都で3日人々に服喪するよう命令を発した。これは御三家以外で異例のことであった。
辞世の句は、「曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く」。法名から、没後は貞山公と尊称された。
■官兵衛との違い
殉死も厳禁し、近所の子供たちと遊び、家臣の家族とも親しく接した官兵衛。
50万石の大大名の藩祖にしては、あまりにもかけ離れた人格者。
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黒田官兵衛を中心に、戦国時代のネタ発信しています。そのほかに歴史関連記事も載せていきます! ■Twitter 歴史king @rekishiking ■書籍 「キリシタン武将 黒田官兵衛―「軍師」官兵衛の実像 天の巻(上・中巻)―」
2014年1月31日金曜日
2014年1月30日木曜日
1月31日アニバーサリー 今日は愛妻の日だそうです!
■1月31日アニバーサリー
314年
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シルウェステル1世がローマ教皇に即位。
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1862年
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シリウスの伴星シリウスBを発見。初めて観測された白色矮星。
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1879年
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枕探し泥棒が見つかり相手を殺害した高橋お伝が斬首刑で処刑。日本最後の斬首刑。
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1881年
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文部省が「小学校教員免許状授与方心得」を制定。
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1893年
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北村透谷・島崎藤村らが文藝雑誌『文学界』を創刊。
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1912年
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中央線・中野~昌平橋に女学生の身辺保護の為の婦人専用電車が登場。
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1918年
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ロシアで翌日からのグレゴリオ暦導入により、1月31日の翌日が2月14日になる。
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1928年
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スターリンと対立していたトロツキーが中央アジアのアルマアタへ追放。
翌年2月には国外追放。
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1941年
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日本海軍の巡潜丙型潜水艦「伊号第一八潜水艦」(伊18)が竣工。
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1942年
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日本陸軍がマレー半島最南端のジョホールバルを占領。
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1943年
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スターリングラードの戦いでドイツ軍のパウルス司令官と幕僚がソ連に降伏。
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1943年
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日本海軍の巡潜乙型潜水艦「伊号第三八潜水艦」(伊38)が竣工。
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1944年
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日本海軍の巡潜乙型改1潜水艦「伊号第四四潜水艦」(伊44)が竣工。
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1945年
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日本海軍の伊371潜水艦が、横須賀へ向けメレヨンを出発。以降消息不明。
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1945年
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日本海軍の駆逐艦「梅」が、輸送作戦中に台湾沖で米海軍の攻撃を受け沈没。
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1945年
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日本海軍の秋月型(冬月型)駆逐艦「宵月」、橘型駆逐艦「楡」が竣工。
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1947年
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マッカーサーが、翌日から予定されていた「2.1ゼネスト」の中止を命令。
全官公庁共闘の伊井委員長がラジオでスト中止を発表。
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1949年
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中国人民解放軍が北京に無血入城。
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1950年
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トルーマン米大統領が水爆の開発計画を発表。
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1950年
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中国人民解放軍総司令部がチベットを除く中国全本土の解放を宣言。
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1956年
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コルチナ=ダンペッツォ冬季五輪スキー回転で猪谷千春が銀メダル。
冬季五輪で日本初のメダル。
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1957年
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前年末に首相に就任した石橋湛山が脳梗塞で倒れる。岸信介を臨時首相代理に指名。
2月25日に辞任表明。
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1958年
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アメリカ初の人工衛星「エクスプローラ1号」の打上げに成功。
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1961年
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チンパンジー「ハム」が搭乗したアメリカの宇宙船「マーキュリー・レッドストーン2号」を打ち上げ。
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1962年
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群馬県の草軽電気鉄道(上州三原~草津温泉17.6km)がこの日限りで廃止。
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1968年
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ナウル共和国がオーストラリアから独立。
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1971年
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アメリカの3番目の有人月宇宙船「アポロ14号」打上げ。
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1971年
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東西ベルリン間の電話回線が19年ぶりに回復。
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1972年
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宮崎県の国鉄細島線(日向市~細島3.5km)がこの日限りで旅客営業を廃止。
翌日から日豊本線の貨物支線となる。
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1974年
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日本赤軍とアラブゲリラがシンガポールの製油所を襲撃。
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1976年
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鹿児島市立病院で日本初の五つ子が誕生。
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1979年
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江川卓が阪神に入団し、小林繁との即日トレードで巨人に入団。
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1984年
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兵庫県の別府鉄道(別府港~野口3.7km,別府港~土山4.1km)がこの日限りで廃止。
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1988年
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海上自衛隊のあぶくま型護衛艦「じんつう」(DE-230)が進水。
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1988年
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青函トンネル開通に先立ち、並行するJR北海道・松前線(木古内~松前50.8km)が
この日限りで廃止。
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1988年
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愛知県のJR東海・岡多線(岡崎~新豊田19.5km)が第三セクター・愛知環状鉄道に転換。
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1988年
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熊本県・鹿児島県のJR九州・山野線(水俣~栗野55.7km)がこの日限りで廃止。
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1989年
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大行天皇の追号が「昭和天皇」に決定し、皇居で奉告の儀。
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1989年
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島田事件で死刑が確定していた赤堀政夫被告の再審で、静岡地裁が無罪判決。
8月に検察が控訴を断念し、無罪が確定。
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1990年
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マクドナルドのソ連一号店がモスクワに開店。
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1990年
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海上自衛隊のあさぎり型汎用護衛艦「はまぎり」(DD-155)が竣工。
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1996年
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海上保安庁が電信・モールス符号の使用を中止。
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1999年
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東急百貨店日本橋店が閉店。白木屋以来336年の歴史に幕。
■誕生日
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1935年 - 石津祥介、ファッションデザイナー
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1936年 - 村上孝雄、プロ野球選手
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1937年 - フィリップ・グラス、作曲家
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1937年 - スザンヌ・プレシェット、女優(+ 2008年)
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1937年 - 伊藤孝雄、俳優
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1937年 - 常田富士男、俳優、ナレーター
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1938年 - ベアトリクス、オランダ女王
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1941年 - イナ・バウアー、フィギュアスケート選手
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1941年 - ジェラルド・マクダーモット、絵本作家、イラストレーター、グラフィックデザイナー、
映像作家 |
1941年 - 有田泰而、写真家(+ 2011年)
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1942年 - 青芝キック、漫才師(青芝フック・キック)
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1942年 - ダニエラ・ビアンキ、女優
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1942年 - 東野英心、俳優(+ 2000年)
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1944年 - チャーリー・マッスルホワイト、ハーモニカ奏者
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1944年 - 根本美香、バレエダンサー
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1945年 - ジョセフ・コスース、美術家
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1945年 - 泰道三八、政治家
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1947年 - 加古隆、ピアニスト
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1947年 - 岡田広、政治家
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1947年 - ノーラン・ライアン、メジャーリーガー
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1941年 - 鈴木宗男、政治家、新党大地代表
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1943年 - 秋山武史、俳優(+ 1998年)
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1944年 - 目黒光祐、声優
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1945年 - ジョン・ライドン、ミュージシャン、セックス・ピストルズのボーカル
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1948年 - ケリー・リンチ、女優
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1950年 - 石野真子、女優
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1951年 - 河野誉彦、プロ野球選手
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1953年 - 黒崎輝、俳優
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1964年 - 高柳良一、俳優・声優
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1964年 - 松井一郎、政治家、大阪府知事
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1964年 - 真矢みき、女優、元宝塚歌劇団花組トップスター
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1964年 - 光原伸、漫画家
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1964年 - 和智正喜、小説家
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1964年 - ジェフ・ハンネマン、ミュージシャン(スレイヤー)(+ 2013年)
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1965年 - オーフラ・ハーノイ、チェリスト
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1965年 - とだ勝之、漫画家
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1966年 - 石黒賢、俳優
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1966年 - エル・ヒガンテ、プロレスラー(+ 2010年)
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1966年 - 星野伸之、プロ野球選手
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1999年 - 新千恵子、声優
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1968年 - 酒井光次郎、プロ野球選手
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1968年 - マリナ・キールマン、フィギュアスケート選手
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1998年 - イ・ヨンエ、女優
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1965年 - 片山晋呉、プロゴルファー
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1973年 - ポーシャ・デ・ロッシ、女優
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1966年 - 今村恵子、タレント
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1974年 - アリエル・ペスタノ、野球選手
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1975年 - 氷川へきる、漫画家
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1975年 - 木内美穂、女優
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1977年 - 伊藤修子、女優
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1977年 - 香取慎吾、SMAP
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1978年 - 中島理帆、シンクロナイズドスイミング
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1978年 - グレース・ラム、女優、モデル
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1979年 - 松井優征、漫画家
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1981年 - 森本稀哲、プロ野球選手
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1981年 - ジャスティン・ティンバーレイク、歌手
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1982年 - ユニエスキー・ベタンコート、メジャーリーガー
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1982年 - 藤田泰成、サッカー選手
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1982年 - アラン・マクレガー、サッカー選手
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1982年 - アンドレアス・ゲルリッツ、サッカー選手
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1982年 - 翔天狼大士、大相撲力士
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1983年 - ファビオ・クアリャレッラ、サッカー選手
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1984年 - 内田和也、プロ野球選手
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1984年 - 国木剛太、プロ野球選手
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1984年 - 三志郎、マジシャン
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1984年 - 阿覧欧虎、大相撲力士
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1984年 - ウラジミール・ビストロフ、サッカー選手
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1985年 - 上原ちえ、女優
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1985年 - 仲程仁美、ファッションモデル
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1988年 - 真山明大、俳優
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1990年 - 薮宏太、俳優、Hey! Say! JUMP(Hey! Say! BEST)
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1990年 - 川上智弘、柔道選手
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1991年 - コリーヌ・ブルーンス、フィギュアスケート選手
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1991年 - ギジェルモ・エレディア、野球選手
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1992年 - むとう水華、元ハロプロエッグ
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1992年 - 水橋舞、歌手
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1993年 - ジェシカ・ローズ・ペイシュ、フィギュアスケート選手
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1999年 - 廣田あいか、タレント・アイドル(私立恵比寿中学)
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■忌日
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1398年(応永5年1月13日)- 崇光天皇、北朝第3代天皇(* 1334年)
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1561年 - メノ・シモンズ、アナバプテストの指導者(* 1496年)
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1580年 - エンリケ1世、ポルトガル王(* 1512年)
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1615年(慶長20年1月3日)- 宗義智、対馬国の領主(* 1568年)
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1632年 - ヨスト・ビュルギ、時計職人、数学者(* 1558年)
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1703年(元禄15年12月15日) - 吉良義央、江戸幕府高家肝煎(* 1641年)
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1729年 - ヤーコプ・ロッヘフェーン、探検家(* 1659年)
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1736年 - フィリッポ・ユヴァラ、建築家(* 1678年)
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1740年(元文5年1月3日)- 志太野坡、俳諧師(* 1662年)
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1788年 - チャールズ・エドワード・ステュアート(小僭王)、イギリスの王位請求者(* 1720年)
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1828年 - アレクサンドル・イプシランチ、帝政ロシアの軍人(* 1792年)
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1866年 - フリードリヒ・リュッケルト、詩人(* 1788年)
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1888年 - ヨハネ・ボスコ、カトリック教会の聖人(* 1815年)
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1892年 - チャールズ・ハッドン・スポルジョン、バプテスト派牧師(* 1834年)
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1897年 - 西周、啓蒙家・教育者(* 1829年)
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1905年 - 副島種臣、日本の内務大臣、外務卿(* 1828年)
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1914年 - 広瀬宰平、実業家(* 1828年)
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1917年 - オットー・フィンシュ、民俗学者、博物学者、探検家(* 1839年)
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1918年 - 朝吹英二、実業家(* 1849年)
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1926年 - ルー・バイアーバウアー、メジャーリーグベースボール選手(* 1865年)
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1933年 - ジョン・ゴールズワージー、小説家(* 1867年)
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1944年 - ジャン・ジロドゥ、作家(* 1882年)
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1945年 - エディ・スロヴィク、アメリカ陸軍の二等兵(* 1920年)
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1950年 - 森本厚吉、経済学者、教育者(* 1877年)
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1954年 - 香取秀真、鋳金作家(* 1874年)
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1954年 - エドウィン・アームストロング、発明家、電子技術者(* 1890年)
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1955年 - ジョン・モット、YMCA指導者(* 1865年)
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1956年 - A・A・ミルン、作家(* 1882年)
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1967年 - エディ・トーラン、陸上競技選手(* 1908年)
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1969年 - メハー・ババ、宗教家(* 1894年)
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1970年 - スリム・ハーポ、ブルースミュージシャン(* 1924年)
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1970年 - ミハイル・ミーリ、航空エンジニア(* 1909年)
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1972年 - ハナ・マシュコヴァー、フィギュアスケート選手(* 1949年)
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1973年 - ラグナル・フリッシュ、経済学者(* 1895年)
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1974年 - サミュエル・ゴールドウィン、映画プロデューサー(* 1882年)
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1977年 - 万耀煌、中華民国の軍人(* 1891年)
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1979年 - グラント・グリーン、ジャズギタリスト(* 1935年)
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1984年 - 林家小染 (4代目)、落語家(* 1947年)
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1985年 - 石川達三、小説家(* 1905年)
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1985年 - 田中六助、政治家(* 1924年)
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1987年 - 渡辺晋、実業家(* 1927年)
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1989年 - 芥川也寸志、作曲家(* 1925年)
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1990年 - エベリーン・ド・ボリス=レイモンド・マルコス、生物学者(* 1901年)
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1999年 - ジャイアント馬場、プロレスラー(* 1938年)
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2000年 - 吉川泰雄、日本語学者(* 1917年)
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2001年 - ゴードン・R・ディクスン、SF作家、ファンタジー作家(* 1923年)
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2002年 - 内藤幸三、プロ野球選手(* 1916年)
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2004年 - 加藤道子、女優(* 1919年)
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2004年 - 桂文治 (10代目)、落語家、南画家(*
1924年)
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2005年 - 中尊寺ゆつこ、漫画家(* 1962年)
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2006年 - モイラ・シアラー、バレエダンサー、女優(* 1926年)
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2007年 - 高橋揆一郎、小説家(* 1928年)
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2008年 - フランティシェク・チャペック、カヌー選手(* 1914年)
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2009年 - エルランド・フォン・コック、スウェーデンの作曲家(* 1910年)
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2010年 - 伊藤ていじ、建築学者(* 1922年)
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2011年 - 古川能章、元サッカー選手(* 1930年)
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2012年 - マイク・ケリー、現代美術家(* 1954年)
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2012年 - 川勝正幸、フリーライター、編集者(* 1956年)
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■記念日・年中行事
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.・独立記念日(ナウル)
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1968年のこの日、ナウルがイギリス・オーストラリア・ニュージーランドの信託統治から独立した。
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・晦日正月・晦日節(日本)
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正月最後の日。この日に、松の内に年始回りをしなかった家を訪ねる地方もある。
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・生命保険の日(日本)
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1882年のこの日に日本初の生命保険金支払いが行われたことにちなみ、
生命保険のトップセールスマンの集まりであるMDRT日本会が制定。これとは別に、 11月1日が生命保険協会が定めた生命保険の日となっている。 |
・愛妻の日(日本)
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日本愛妻家協会が2006年に制定。1月の1を"I"に見立て、「あい(I)さい(31)」の語呂合わせから。
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